【作品紹介】この作品は事実に基づいた短編です。生前の父からの聞き書きです。ただ、僕が実際に見聞きしていないことも綴っています。その点を考えると「エッセイ」に分類することはできませんでした。
僕の父は旧・日本電信電話公社に勤める公務員でした。準公務員という人もありますが、ここでは議論を控えます。要するに三公社五現業のひとつだったわけです。ちなみに三公社とは「日本国有鉄道(現JR)」「専売公社(現JT)」「日本電信電話公社(現NTT)」です。電々公社の職制は、中央省庁に準じたものだったと思います。東大をはじめとする旧帝国大学卒が幅を利かす、という仕事場です。
当時の電々公社職員は全国に33万人もいて、僕が通った小学校や中学校のクラスには必ず3人位は電々公社職員の子弟がいたものです。親方日の丸なので、官舎など福利厚生施設は充実していましたが、給料は高くありませんでした。もっとも、役所なので、世の中の景気に関係なく手当が付くので、出張の多い職員は出張手当が本給より高いなんていう人もいたのだとか。
また、昭和時代のビルには、現在のように20階以上の高層ビルはありませんでした。丸の内や日比谷でも、大手企業の本社といっても、10階建て前後の鉄筋クリート造が主流でした。現在では、高層ビルなども、鉄骨コンクリートパネル工法が主流ですが、昭和時代の鉄筋コンクリート造は、堅牢で立派な外観でした。
写真(Wikipediaより)の旧電々公社本社ビル(日比谷)もそのひとつでした。2025年4月現在、向かいの帝国ホテルを含め辺り一帯が再開発中です。僕としては、文化遺産として残してもらいたかったのですが、電々本社ビルもすでに解体されてしまったと思います。残念~。
このビルには当初、電々公社だけでなく、東芝本社、アラビア石油本社なども入っていました。当時のアラ石はもうありませんが、かつては中東に油田を所有していて、当時のサラリーマンとしては破格の給料を貰っていたことでも知られています。
賊軍なのか、官軍なのか

38e5cd171c38745ae530a9876e8b0643